この記事の目次
ハマチは中学校2年生の3学期に、おしっこの検査にひっかかりました。
今もあると思うのですが、朝一番のおしっこを学校へ提出するのです。
それから、数日後、尿が悪い数値で腎臓病になりました。
まずは、検査入院することになりました。
中学校の2年生のクラスはとても面白かったので、入院してしまうと残りの3学期はほぼ行けなくなり、とても悲しくて、母親に当たり散らしていました。
毎日母親に「入院嫌や!」と愚痴っては、2人で泣いていました。
今、考えると母親には辛い思いをさせたなあと思います。
ソーメン
そんな時に晩御飯がソーメンの日がありました。
ソーメンだけです。
貧乏なので仕方ないのですが、成長期の食べたい盛りのハマチは肉や魚を食べたかったので、イライラしていたこともあって、「晩飯、これだけなん?他ないん?」と言ってしまったのです。
母親も色々溜まっていたのでしょう。
次の瞬間にはソーメンが入ったザルが飛んできました。
ハマチはコントみたいに頭からソーメンをおもいっきり被りました(笑)
今では笑い話ですが、あの当時はハマチも母親も大変だったと思います。
中学校はサッカー部
中学校はサッカー部にも入っていたのですが、激しい運動は絶対ダメだということでサッカー部も辞めなくてはいけなくなりました。
帰宅部になったハマチはカッコだけヤンキーになって悪くなっていくのです。
もし、腎臓病にならなければJリーガーになっていたと思います(笑)
入院
入院する病院は大きな大学病院でした。
たしか14歳は小児科になるというのはこの時始めて知りました。
15歳からは小児科じゃないのですが、大人に近い体の中学生が幼稚園や小学校の子達と一緒に入院するのは、めちゃくちゃ恥ずかしかったです(笑)
検査入院は、腎臓の細胞を取って検査する手術をするらしく、どんなんやろ?痛いんかなあ?と色々想像を膨らませていました。
でも、実際は手術といっても、ベットに寝るわけではなく、椅子に座らせられて腰から細い長い針を刺して細胞を取るというものでした。
しかも、めちゃくちゃ激痛でした。
しかも、針を刺した時に先生が「あちゃーそれてもうた」って「もう一度やりますね」ともう一回刺されました。
2回も激痛を味わいました。
今なら医療事故やで!ほんまに(笑)
それから、17年腎臓病は完治はしていませんが、なんとか生きています。
腎臓は2つあるので、1つでも生きれるみたいです。
最初は薬を飲んだりしてましたが、成人になってからは、飲んでいません。
でも、激しい運動や辛いものもダメで疲れが出た時は休むようにはしています。
この腎臓病は一生もんなので死ねまで付き合っていくつもりです。
という感じで今日は終わりです。
また、読んでください!たのんまーす!
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